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千葉地方裁判所 昭和38年(ワ)210号 判決

原告(反訴被告) 国

訴訟代理人 斉藤健 外三名

被告(反訴原告) 渋谷重光

主文

1  別紙目録記載の土地が原告(反訴被告)の所有であることを確認する

2  被告(反訴原告)は原告(反訴被告)に対し右土地につき所有権移転登記手続をせよ

3  被告(反訴原告)の原告(反訴被告)に対する反訴請求を棄却する

4  訴訟費用は本訴反訴を通じて被告(反訴原告)の負担とする

事実

第一、当事者双方の求める裁判〈省略〉

第二、原告の主張

(本訴請求の原因)

別紙目録記載の土地(以下本件土地という)はもと被告の父渋谷重一の所有であつたが、原告(旧陸軍省)は昭和一九年二月一四日右重一から右土地を金一万二、六五七円八六銭で買収した。

ところが、本件土地については昭和三四年一二月一〇日から昭和三五年五月二日までの間三回にわたり右重一から被告に対し贈与を登記原因とする所有権移転登記がなされている。

よつて、本件土地の所有権確認とその所有権移転登記手続を求める、

(被告の抗弁に対する答弁及び抗弁)

抗弁事実を争う

本件土地の贈与契約は重一が原告に対して負担している所有権移転登記義務の履行を免れるため重一とその長男たる被告とが相謀つて殊更贈与名義による登記をなしたものであり、通謀虚偽表示として無効である。

仮に右贈与契約が無効でないとしても、被告は、本件土地は旧陸軍省が昭和一九年に藤ケ谷飛行場建設用地の一部として被告の父重一から買収したものであること、同飛行場は終戦後連合国軍が接収し、平和条約発効後も引続き在日米軍基地として使用され、その後海上自衛隊下総基地(通称白井基地)として使用されていること、及び右飛行場用地の旧所有者から国に対する所有権移転登記が未了となつていたため国と旧所有者との間に紛争があり、これが解決のため旧所有者らが基地対策協議会を結成し、国と折衝を重ねていたこと、などを知悉しながら、右対策協議会に加わらずに別行動をとり、未だ原告に対し所有権移転登記がなされていないことを奇貨として、本件土地を父重一から自己に二重に譲渡させてその登記名義を取得したうえ、これを改めて原告に売りつける等の方法により多額の不正の利得を取得しようとの企図のもとに本件土地の贈与を受け、その登記を取得したものである。このような被告が原告に対し登記の欠缺を主張することは著るしく信義に反するものであるから、被告は民法第一七七条で定める第三者即ち登記の欠缺を主張するについて正当の利益を有する第三者にはあたらない。

したがつて原告は本件土地について登記がなくても前記売買による所有権取得をもつて被告に対抗しうるものである。

(反訴請求原因に対する答弁)

反訴請求原因一項の事実のうち被告が本件土地につきその主張のとおり三回にわたり贈与を登記原因とする所有権移転登記を経由したことは認めるが、所有権移転の点は否認する。

同二項の事実のうち原告が昭和一九年以降本件土地を占有していることは認めるがその余の点は否認する。

同三項のうち本件土地の公簿上面積が一万三、七五九坪(四町五反八畝一九歩)であることは認めるがその余は争う。

第三、被告の主張

(本訴請求原因に対する答弁)

請求原因事実のうち本件土地がもと渋谷重一の所有であつたこと、重一が被告に対し原告主張のとおり登記を経由したこと及び重一と被告とは親子であることは認めるが、その余は否認する。本件土地は重一から被告に贈与されたものであつて重一が原告に対して本件土地を売渡したことはない。

(被告の抗弁)

一、仮に原告がその主張のとおり本件土地を重一から買収してその所有権を取得したとしても、原告は登記をしていないから重一より贈与を受けその登記を有する被告に対して対抗することはできない。

二、原告の本訴請求は信義則に反し許されない。

即ち、旧陸軍省は昭和一九年二月頃大東亜戦争のための飛行場用地として本件土地を含む六八万坪余を買収しはじめたものであるが、右飛行場が完成しないうちに終戦となり、同時に陸軍は潰滅し、ついで新憲法の施行によつて国は戦争を放棄し戦力を保持しないことを宣言した。したがつて終戦後は右飛行場は軍事基地としてはもはや不要であり、国も一般国民はもとより右飛行場用地の旧所有者も早晩同地は旧所有者に返還されるものと信じていたものである。

それであればこそ国においては終戦直後から右飛行場を米軍が軍事基地として使用しはじめたにかかわらず、その用地の買収について戦時中一時しか実行されなかつた所有権移転登記と代金支払の手続を終戦後は全く行わず、米軍の使用するままに放置しておいたものであり、これにより国は前記売買に基づく権利行使を放棄したものと認められるし、また右用地の旧所有者においては少なくとも米軍撤退後には当然旧所有者に返還されるものと信じ、かつ期待して終戦後から今日まで地租または固定資産税を支払つてきたものである。

然るに終戦後すでに十数年も経過した昭和三五年頃になつて米軍が右基地から撤退すると、原告はにわかに右基地を自衛隊の飛行場として使用するため昔の売買契約を楯にとり、これに基づいて所有権移転登記手続を求めているものである。

しかしながら右のように国は十数年にわたつて買収に基づく権利を行使せず、したがつてまたその権利行使の相手方である旧所有者渋谷重一らにおいてはその権利はもはや行使されないものと信じ、かつそのように信ずるについて正当な理由があるから、原告の本訴請求は信義則に反し許されない。

(原告の抗弁に対する答弁)

抗弁事実を否認する。

(反訴請求の原因)

一、被告は昭和三四年一二月一〇日から昭和三五年五月二日までの間に三回にわたり渋谷重一から本件土地の贈与を受けてその所有権を取得し、かつその旨の所有権移転登記手続を経由した。

二、然るに原告は何ら正当な権原がないのに被告が贈与を受けた当時から本件土地を占有して被告の使用を妨げている。そのため被告は一カ月一坪当り少なくとも金一円の賃料相当の損害を蒙つている。

三、よつて被告は原告に対し本件土地の引渡しと昭和三五年五月二日から昭和三八年五月一日までの間(三年七カ月)の本件土地(公簿上面積合計一万三、七五九坪)の損害金五九万一、六三七円及び昭和三八年一二月二日以降右土地引渡済みに至るまで一カ月一坪当り金一円の割合による損害金の支払を求める。

第四、証拠〈省略〉

理由

第一、本訴請求に対する判断

(本件土地の買収の有無について)

本件土地がもと渋谷重一の所有であつたことは当事者間に争いがないところ、原告はこれを重一から買収したと主張するので判断する。

一、〈証拠省略〉を総合すると、昭和一九年当時陸軍省東部軍経理部が行なつていた用地買収の手続は一般的にはおおよそ次のようなものであつた。

(1)  陸軍省から東部軍経理部に買収予定区域を指定して買収の指令が来ると経理部経営課の担当者が買収予定区域を現地調査したうえ税務署、町村役場、銀行などに照会して同区域内の土地所有者及び同区域内外の土地価格を調査し、これによつて買収予定地及び買収予定価格等を決定したこと、(2) 次に町村役場を通じて買収予定地の所有者を一定の場所に集めて同じく経営課の担当者が買収予定地が軍事上必要であることを説いてその協力を求め、これによつて売買の交渉をしたこと、(3) 右交渉の結果買収に応じた地主からその当日または後日土地譲渡証書、登記承諾書、売渡代金請求書に押印をもらつたこと、(4) 右土地譲渡証書及び登記承諾書が備わると東部軍経理部長が登記嘱託指定官吏として土地所有権移転登記嘱託書により登記嘱託をしたこと、(5) そして登記が済むと経理部主計課が代金請求書どおりの売渡代金を支払つたこと、ただし、未登記の場合でも代金支払の特例が認められており、これによつて支払われたこともあつたこと、なお被買収土地上の工作物、農産物等の補償料は、売渡代金とは別個に、買収後即ち右(3) の事務手続後であれば登記未了でも支払われたこと。

以上のとおりであることが認められる。

二、そこで右の一般的な買収手続と対比しながら本件土地の買収についてみると、〈証拠省略〉を総合すれば、(1) 陸軍省は昭和一八年ころから本件土地付近に飛行場(旧藤ケ谷飛行場、現在の海上自衛隊下総基地・通称白井基地)を設けることとし、これに必要な用地の買収を東部軍経理部に指令したこと、この指令に基づき経理部経営課の飯橋晴源、藤田信らがこの買収事務を担当することとなり、同人らは買収予定区域を現地調査したほか、前記一の(1) の一般の場合と同様の調査をしたうえ買収予定地及び買収予定価格等を決定したこと、(2) 次に買収予定地の土地所有者を昭和一九年二月一四日藤ケ谷ゴルフ場の事務所に招集し、同所において飯橋晴源らが買収予定地を示して飛行場の設置が軍事上必要であること、そのためには予定地の買収が必要であることを訴えてその協力を求めたが、出席者の中から反対を表明するものはなく一同買収に応ずる態度であつたこと、この集りに本件土地の所有者渋谷重一も出席したが特に反対はしなかつたこと、(3) 右当日かあるいは後日、重一は本件土地の所有権移転についての登記承諾書(甲第二号証)に押印したこと、(もつとも本件土地の(十一))及び(二十二))の各土地の地目は当時は山林であつた)、東部軍経理部長がその頃証明している土地譲渡証書の謄本(甲第一号証)には重一が昭和一九年二月一四日本件土地を陸軍省に対し金一万二、六五七円八六銭で売渡す旨記載されていること、(4) 東部軍経理部長は土地所有権移転登記嘱託書(甲第三号証)により本件土地について重一より陸軍省に対する買収に基づく所有権移転登記の嘱託手続をとつたこと、しかし重一と同じく買収交渉を受けた者の一部にはその頃間もなく移転登記が済んだ者もいたが、重一の本件土地を含む他の者の分については登記未了となつていたこと、右登記未了の分のうちには一筆の一部が買収の対象となつていたものがあつて、その分筆登記をしなければ移転登記ができず、本件土地のうちの(三)と(七)の土地もその一つであり、そのため軍はこれらについて分筆申告をなしたが、終戦前後の混乱と軍の解体等のため手続未了のまま推移し、移転登記を経由するまでに至らなかつたこと、(5) 重一は本件土地を陸軍省に引渡し、昭和二〇年八月六日頃本件土地上の大麦小麦の補償料として金二、六五七円五〇銭を受領したこと、以上の事実が認められる。

三、右一及び二の事実を合わせ考えると、売渡代金受領の事実は証拠上これを確認できないけれども、重一が押印した本件土地についての登記承諾書(甲第二号証)及び登記嘱託指定官吏が作成した本件土地についての土地所有権移転登記嘱託書(甲第三号証)が存在し、かつ重一が本件土地上の麦の補償料を受領している以上、これらはいずれも売買が成立したことを前提として存在する書面ないしは事実であるから、重一は甲第一号証のとおり昭和一九年二月一四日本件土地を金一万二、六五七円八六銭で原告(旧陸軍省)に売渡したものと認めるのが相当である。

(民法第一七七条の適用に関する主張について)

被告は、原告は本件土地につき所有権の取得登記を経ていないから、重一から贈与を受けその登記を有する被告に対抗することはできないと主張し、重一が本件土地につき被告に対し昭和三四年一二月一〇日から昭和三五年五月二日までの間三回にわたり贈与を登記原因とする所有権移転登記を経由したことは当事者間に争いがない。しかし民法第一七七条で規定する登記なくして対抗できない第三者とは登記の欠歌を主張するについて正当な利益を有する第三者をいうことはすでに確定した判例であり、実質的無権利者ないし登記の欠缺を主張することが信義誠実の原則に反すると認められる悪意の第三者(いわゆる背信的悪意者)は右の正当な利益を有する第三者にはあたらないと解すべきである。

そこで原告の通謀虚偽表示および背信的悪意者の主張について判断する。

一  通謀虚偽表示について

〈証拠省略〉によれば重一は本件土地を右登記原因のとおりその頃贈与したことが認められ、これに反する証拠はない。原告は右贈与は重一と被告との通謀虚偽表示であると主張するけれども、これを認めるに足る証拠がないのでこの主張は認定できない。

二、背信的悪意者の主張について

〈証拠省略〉を総合すれば、本件土地は飛行場敷地の一部であつて昭和一九年頃から終戦までは陸軍が、その後は米軍が使用していたこと、右飛行場敷地のもと所有者のうち登記簿上依然として所有者となつている人達は昭和三二年一月白井基地対策協議会を結成して原告に対し買収登記や代金支払等買収手続の早期処理と右買収手続未了のため旧所有者が税金面等で受けた不利益に対する適正なる補償などを要求することとし、この要求実現のためには買収が未登記である以上民有地であるとの闘争方針のもとに行動することとし、以後その方針で関係官庁に積極的に働きかけ、たが民有地であることに固執したものではなく、あくまで話し合いによる円満解決を旨として運動を展開したこと、しかし渋谷重一と渋谷貴重の二名は右対策協議会に加わらず別途闘う方針であつたこと、被告は重一の長男としてこれらの事実を十分承知していたこと、(なお前記対策協議会加入の旧所有者と原告間の紛争は昭和三六年九月に協議会の代表者が防衛庁と折衝協議の結果防衛庁が旧所有者に補償料を支払うことで円満解決をみた)、然るに重一は右のように本件土地に関し原告との間に紛争があつたのにその土地を長男たる被告に贈与したこと、農地等主要財産を親から子に生前贈与することは被告らの地域でも例が少ないこと、以上の事実が認められ、これらの事実と前掲各証拠並びに弁論の全趣旨を総合すると、重一の被告に対する本件土地の贈与は重一はもとよりその長男たる被告においても本件土地はすでに重一が原告に売渡したものであることを知りながら、原告が買収に基づく所有権移転登記をしていないことを奇貨として、その登記手続請求を免れることによつて買収価格の増額もしくは高額補償をかちとる意図のもとになされたものと認めるのが相当である、そうであるとすれば被告がこのような意図で贈与を受けかつ登記をしておきながら原告の登記の欠缺を主張することはいわゆる二重譲渡の譲受人の場合とは異なり信義則に反するものというべきであるから、かかる被告は登記欠缺の主張につき正当な利益を有する第三者とはいえない。

(信義則違反の抗弁について)

被告は買収後十数年間も権利行使をせずに放置しておきながらその後になつてなす原告の本件登記手続請求は信義則に反し許されないと抗争する。

なるほど前掲各証拠によれば原告は昭和一九年二月に本件土地を買収したのに昭和三二年に前記白井基地対策協議会が結成されてその働きかけを受けるまで買収に基づく登記手続の検討を怠つていたものであり、これがため重一及び被告が登記簿上所有者であるために固定資産税等の負担を余儀なくされて不利益を受けたことは認められる。しかし前掲〈証拠省略〉によれば登記が遅れた主たる原因は関係書類の散逸等終戦前後の混乱のため分筆手続遅延などによるものと認められるし、また本件土地は買収後引続き原告が使用(戦時中は陸軍省、昭和三五年六月頃までは米軍、それ以後は防衛庁が使用)していることその他前記認定の各事情のもとでは原告の本件請求を排斥しなければ信義則に反するものとは認め難い。

以上の理由により原告の被告に対する本訴請求は理由があるのでこれを認容する。

第二、反訴請求に対する判断

本訴について判断したとおりの理由によつて、原告が昭和一九年二月一四日買収によつて本件土地の所有権を取得し、その所有権が被告のそれに優先すると認められる以上、被告が原告に対し所有権に基づく引渡し及び賃料相当の損害金の支払を求める本件反訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないこと明らかであつて棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中隆 加藤一隆 角田進)

物件目録〈省略〉

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